過去より未来に近い今

30オーバーでも始めるには今より遅いことはない。育児と技術両方諦めないようにアウトプット。

辿り着きたい場所がはっきりしていなくても走り続けるんだよ

この記事はSHIROBAKOアドベントカレンダーの17日目です。

adventar.org

万策尽きたー!!

今私自身がチームビルディングを仕事で模索しており、そんな折SHIROBAKOアドベントカレンダーに初参加したことで今一度SHIROBAKOを見返していたところ、第2話のあるぴん談義でインスピレーションデッキを思い起こしたのでそのことでも書こうと思ったところ、他の方がわかり易い内容でまとめてくれていました。拝見して「そうなんだよね、そうそう!」と満足なまま読み終えたのですが、気づけばネタがないではないか!

思わず「万策尽きたー!」となりましたが、SHIROBAKOの密度はそんなものではない! ということでネタ変更で辿り着きたい場所に向かって行動し始める話とでもそれがわからないこともあるということについて、SHIROBAKOから私が感じたことを書いてみたいと思います。

自分の今いる場所が違うんじゃないか?

SHIROBAKO第9話「何を伝えたかったんだと思う?」にこんな場面がります。

高待遇、業界でも評判のいいCG会社で不満そうな顔で働くみーちゃん。そんなみーちゃんの不満の原因は目の前にある仕事がタイヤばかりであること。CG作成の技術は上がっているのですが、自分の作りたかったものはタイヤじゃない、と悩みながら、今の会社で別のチャンスがあるのか周りの人と会話してみるも3年先まで車の仕事が決まっている。他の人に不満はないのか訪ねても、福利厚生や待遇の良さで仕事の内容ではなく、会社としての良さの評価を返される。 みーちゃんはまだまだもやもやします。会社の人ではない人に話そうとずかちゃんらに連絡。

そして次の場面です。

「CGの会社に入って夢に近づいたと思ったけど、最近逆に夢から遠ざかっている気がするんですよね。」

「このままこの会社にいたら3年後もホイール作っている自分しか想像できなくて・・・。」

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同じような経験をしている人はいるのではないでしょうか?

私自身SIerでまだ働いていますが、自分がやりたかったことってこれだっけ?と思うことやこのままでいいのか?と思うことがあります。(実際現在はそのための動きをしているのですが、支えるものがあるので、いきなり先もなく退職届を出す勇気はないですが。)

上流工程と言われるプロジェクト計画や要件定義、業務整理の支援、プロジェクト管理と言う名の金勘定、Excelを多用する日々・・・。年数を重ねる毎に開発そのものから離れていくと、自分がやりたかったエンジニアってもっとこう技術を活かしてシンプルに価値を出すような仕事ではなかったか?と思い返すことがあります。 (ただ、実はこういった場面でもエンジニアリング、という観点では活かせる部分があり、まさにそれでチームビルディングや業務Hackという点で右往左往している状態。)

みーちゃんの「夢に近づいたはずが夢から遠ざかっているような」感覚、よくわかります。

また同じ会社で同じようなことを考えている人がいるかと話をしても、福利厚生や働きやすさ(=一定度ぬるさ、も含む)で今の会社に居続ける選択肢を持っている人が多数いるという環境。

これもたまに誤解されますが、その環境が絶対悪であったり、その環境に満足している人が意識が低い、というわけではありません。 単に自分がその環境にいるべきではない、もしくは自分は別の環境にいたいと思っている、ということではあるのですが、何分環境が良いだけにそこを離れるリスクなんかも考えてしまって、できれば今の環境でなんとかならんもんかな?なんて・・・悶々とします。

ある程度続けないとわからない vs 自分のやりたいことと違うなら早めに決断する、問題

社会人になるときによくよく出ていたキーフレーズとして

  • 3年は続けろ

みたいなものがあったと思います。今35歳、社会人としては11年ですが、今になって思えばそんなことはない、と言えます。 このフレーズにはすぐ決断できるほど知らないだろう、であったり、続けてみるとその仕事の面白さに気づくことがある、ということもあります。それはそれで確かにあるのですが、もし自分のやりたいことがはっきりしていて、それと違ってしまっている=やりたいことから離れている、という感覚があるなら決断は早めの方がいいです。これは自分の感覚でも、様々な人の話を聞いても思います。

10話「あと一杯だけね」で、りーちゃんが一見おかしな、でもそのとおりという例えを言います。

「野球やりたいのにサッカー部入ったもんですもんね。」

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時に極端な例はわかりやすかったりします。

ただ、注意しとく必要があるのは「野球やりたいのに」です。 やりたいことがはっきりしている、それが例え一時の感情でも、自分の意志がはっきりしていること、というのが大事です。 自分が扶養されているときなどはある程度面倒を見てもらえますが、そうでなくなった時自分の人生の責任は誰も取ってくれません。自分で決めて自分で責任をとっていくしかありません。そうなった時に自分の意志、感情を大事にすることはとても大切です。なんせ責任を撮るわけですから、自分で決めたしな、ぐらいは思えないといけません。

もしこのような意志や感情がなく、よくわからないけどみんなやめるから、みたいなもので決めてしまうと自分の意志がないので、あまり良い結果にはなりません(たぶん)。このように「野球やりたいのに」がなく、「サッカー部やめよっかなー」ならとりあえず「サッカー部でサッカーやっとけ」というのがよくて、サッカーやり続けているとサッカーやグラウンドのことやなんやかんやに多少なり詳しくなったり、考えが深くなったりして、サッカーの面白さに気づくか、自分のやりたいことが別にあると気づく可能性が出てきます。

たぶんこの差があっての、継続 vs 軌道修正、の話になるのだと思います。

目標=やりたいことがわかっているならそのために行動するでいいじゃないか

みーちゃんが社長に思いを伝えた際に社長が語ります。

「目標があるんならそのためにどうしたらいいか一度しっかり考えてみたら?」 「何をやるにせよ、この先の自分が具体的に思い描けないなら始まらないだろ?」

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社長もこれまでいろいろと経験して考えてきて、の言葉ですよね。

確かに自分にやりたいことがはっきりしているなら、他のことは「やらないリスト」にして、どうしたらいいかをブレイクダウンしていく必要があります。キャリアだけでなくても、一つの仕事をとっても、成果物はなにか?、目的はなにか?がわかっていないと求められていたものと違ったことをやってしまったりします。

ただ、一方で「この先の自分が具体的に思い描けない」状態でも無慈悲に時間は過ぎていきます。目標を具体化することは大事なのですが、でもそれができていない状態でも人生やキャリアが「始まらない」ことはなく、「始まってしまっている」のだと思います。

また、描いた目標が間違っていたら、やってきたことも間違いなのか?と考えてしまい、目標を決めきれない、ということもあります。

もし目標が間違っていたら?何が正しい選択なのか?

なんとなく私も「これが正解」と思える選択肢を選びたいし、「間違えたくない」と思ってしまいます。

ただ、よくよく考えるとみんなが同じ正解なんてないんですよね。だから、それぞれ違う意見があっていいし、間違えたら軌道修正してもいい。

我々の世代は寿命が100歳ぐらいになると言われています。そうなると一部選択肢は除きますが、軌道修正やキャリアチェンジのチャンスはあって、それを経験と言えるような生き方の選択も可能だと思います。むしろ単純労働や同じスキルの人が求められていた時代ではないので、このキャリアやスキルや経験のベクトルが散らばっていて、この幅が広いほど、希少価値が高い人材になりえるのではないか、とも言えます。

辿り着きたい場所があるなら、そこにむかって走れ、でも辿り着きたい場所がはっきりしていなくても、走り続けるしかない

おいちゃんは自分のやりたいこと=目標が見えず、「考えないとな」としながら、目の前の仕事を必死にこなしていきます。

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この状態にある時、それがその人の中でどのように決定され、それが本当にやりたいことであるかわからなくても、目標=やりたいことができた、それに向かって行動している、という人はキラキラして見えます。逆に自分をその人と比較して、「自分は何がやりたいのだろう?」「やりたいことがない自分ってどうしようもないな」と考えてしまったりします。

「ホンダさんはたどり着きたい場所を見つけたんだね。」

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この状態、ものすごくわかります。私も何度もハマり、今もモヤモヤしています。「辿り着きたい場所」=目標、やりたいことってモヤモヤしてはっきりしない(できない?)ことが結構あるんですよね。

そんな中、実はこの状態に対しての気づきをおいちゃん自身で話している、という場面があります。

「詰まっていたその絵コンテが進みだしたのはどこにたどり着きたいかがはっきりしたからでそのためになにをやればいいのかが見えたんだって。」

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突然の話題変更。おいちゃんはこういう問題などに対して、メタファで語る例を出すのが上手だよな、と思います。(これって自分が見聞きしたことを自分の中で腹落ちさせて理解しようとしているからなんですよね。こういうことがしっかりできるのって強いな、と思います。)

ここでは一見、「辿り着きたい場所が見えた」=「やるべきことがわかった」ということで目標がはっきりしたら次に進めたよ、ということを語っていると思うのですが、私はそれとは別のことも伝えているのではないか?と感じました。 それは「詰まっていたその絵コンテが進みだしたのは」の部分です。「悩んで苦しんだが詰まってしまった。それでもなんとかしたいともがいていたら」→「辿り着きたい場所が見えた」。 木下監督も舞茸さんと話す前に目標=やりたかったことがわからなくなって、その結果ストーリーがこれでいいのか、がわからなくなっているという場面があります。

つまり、「辿り着きたい場所」=目標、やりたいこと、がモヤモヤしていたり、わからなくなっていたりしても、それでもあがき続けていると何かのきっかけで気づける、ってことなんじゃないかな?と思いました。

辿り着きたい場所がそれがたとえ結果的にまた変わったとしてもそれでもはっきりしているならそのためにするべきことをやる。

辿り着きたい場所がはっきりしない、もしくは決めきれない場合でもあがき続けることをやめない。走り続けるという選択肢がある。

自分のキャリアで悩みまくっていますが、だからといって何もしない、というのは違うよな、いろいろやってみようと思っていたことが、SHIROBAKOによって自分の中で再整理できました。

まとめ

なんだかとりとめもないポエムチックな話になってしまいました。

でも、こんなカタチでもSHIROBAKOについて書いたことで、改めてSHIROBAKOは日々のもやもやなどを「こういうことだったのか」と気づかせてくれ、励ましてくれる一生涯繰り返し観たいアニメであることを再確認できたので良しとさせていただきます。

※最後の最後に舞茸しめじさんのメンタリングすごい・・・。

相談したい・・・。

「一番やりたかったことはなんですか?」

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